前回(1学期期末考査:次郎丸中は前期仮)と比較しての主要5科目の得点アップ状況をほんの一例ですが載せておきます
イニシャルは姓名混在です(くん、さん省略)
次郎丸中 K ⇒ 70点アップ
田隈中 T ⇒ 68点アップ
田隈中 K ⇒ 65点アップ
田隈中 N ⇒ 52点アップ
次郎丸中 K ⇒ 56点アップ
田隈中 I ⇒ 55点アップ
次郎丸中 M ⇒ 48点アップ
田隈中 T ⇒ 47点アップ
ほとんどの生徒が得点アップしています
1から5の中で3だからそんなに悪い方ではない、と思っていませんか?
現在の通知表は絶対評価です。つまり教師が設定したレベルに達していればクラス全員に5をつけてもいいのです。
異常な欠席の多さ、意欲の欠如、提出物未提出…等、よほどのことがない限り、そして音楽、美術、保健体育、技術家庭などの副教科ならなおさらのこと、1はおろか2でさえもつけないのが現状です。
6学区トップの修猶館高校の入試では、通知表の値はほとんど参考にしないと聞きます。
中学間格差があり、担当教師のバイアスがかかるものである以上、あれほどあてにならないものはない ということなのでしょう。
本題に戻ります。
1、2はほとんどつけないのであれば、3~5の中で3は最低ランクなのです。
言い古されたフレーズではあります。私はどちらかというと否定寄りです。
明らかに本の内容によりますし、効果が表れるまでに数年はかかるからです。
国語力の定着には他の教科の数倍の時間が必要です。英語もですが、語学の習得というものは(読む)(聞く)(話す)(書く)の4領域を同時進行させなければならないのであって1領域でもおろそかにすることはできません。よって、本を読めば… というのは文章に慣れ親しむ小学生までの話であり、中学入学時には文章読解力は完成されていなければならないものなのです。
まず、国語(日本語)というものは日常生活で問題なく使えているはずです。
よって、より一層どうこうしようという感覚が生まれにくいのも国語軽視の要因の一つです。
しかも近年はTVでも字幕スーパーだらけになり、言語に対して耳を傾けて聞き入るという行為がなかなか無いように思います。
文章の読解にはいくつかのテクニックはあります。具体例を挙げないとうまく説明できませんが塾生にはしっかりと指導します。
国語というものは言語、つまり道具としての「日本語」に対する興味関心の問題なのです。
2年連続「第一志望校全員合格」を達成しました
私立・公立問わず多くの生徒が入塾当初の志望校からランクを下げていません
しかも発表日3月15日は私(塾長)の誕生日
最高の誕生日プレゼントになりました
公立では
城南2名
福岡中央2名
福翔1名
西陵3名
その他4校へ合格者輩出
(去年もでしたが…推薦,特色化不合格者も、全員が一般入試でリベンジ合格→地味にすごいことです)
私立は
大濠2名
中村女子9名(うち特進4名)
その他4校へ合格者輩出
特に国語の作文では口を酸っぱくして指導しています。
「なので」は【接続語句】の一部となりますが【接続詞】ではありません。
絶対に文頭にくることはあってはならないのです。
必ず「よって」「従って」、最低でも「だから」を使うように指示します。
具体的には~
●私は中学生なので…(OK)
●私は中学生です。なので…(アウト:日本語に非ず)
●私は中学生だから…(OK)
●私は中学生です。だから…(これはOKです だからの「だ」は断定を表すからです)
「なので」から始まる文章、特に話し言葉では既に定着している感もありますし、最近はアナウンサーなど言葉のプロも使っている場もよく見かけます。あと数年したら接続詞として認められるかもしれません。
しかし、受験では現段階では「なので」から始まる文章はご法度です。
以前、ある中3の保護者の投書が新聞上で話題になりました。
我が子は睡眠時間を削って受験勉強をしている中、同じ中3を持つ知人宅の「うちの子は部活推薦で高校はもう決まっている」という言葉を聞いて愕然としたという話です。
それも、まだ推薦入試自体が終わっていない時期だそうです。
確かにこのような事例も噂では聞きます。
ご存じのように推薦入試、特色化入試は面接と作文のみです。この選考方法を当塾は否定します。学力試験は『装う』ことはできないのですが、面接、作文は試験官の望む回答内容を『装う』ことができるからです。
しかも、教育委員会の推薦要項には「志願動機が明白である。志願学科に興味を有する。合格したら入学する意志が確実な者(一部略)」とあります。
え?当たり前でしょと思いませんか。
もちろん内申点なども関係しますが、この条件なら誰でも志願できます。
推薦の(ばらまき)や(おねだり)が横行し、志願しなければ損であるという強迫観念にも似た風潮が蔓延し、よく考えもせず(学科試験なしで楽に合格したい) (一般入試では合格しそうにない)という的外れな動機を持つ生徒が出てくるのも当然です。
経験上、偏差値が10以上足りない子もこれらの制度で合格することがザラにあります。
安易な志願では入学後、必ず挫折します。
高校入試はきちんと学科試験を課すべきというのが当塾の立場であり、推薦、特色化という制度は特殊な事情を抱える生徒のための「救済措置」であるというのが当塾独自の解釈です。
苦しい過程〔もちろん"部活もそうだ"という反論もあるでしょうが…"大原則"として中学や高校は部活の場ではなく学問の場ですので…〕を経た子がそれなりの恩恵を受けるような制度や社会であってほしいです。
※あくまでも当塾の経験と調査と伝聞による一つの考察です
特に定期テスト前になると、こう言いだす子は多いです
結論から言うと、しかも定期テスト(中間,期末)前に限定すると、机に向かいもせずに、教科書を開けもせずにこう言うのなら、ほぼ勉強をしたくない言い訳です。
そもそも「勉強のしかた」も何も、テスト前には【範囲表(計画表)】というものが学校から配布されます。
それには、テスト範囲はもちろんのこと、
〔〇〇ページをよく見ておきましょう〕
〔配布した〇〇プリントを3回解いておきましょう〕
〔〇〇は必ず出します〕
等々…こと細かく「勉強のしかた」が指示されているはずなのです。
勉強のしかたうんぬんなどと言う暇とエネルギーがあるのなら、まずは、テスト範囲の「漢字」や「英単語」のひとつでも覚えることから手を付けるべきなのです。
第一志望校合格率-驚異の100%!を達成しました。
私立・公立問わず多くの生徒が入塾当初の志望校からランクを下げていません。
公立では、
有明高専1名
福岡中央2名
福翔2名
西陵6名
その他4校へ合格者輩出。
(推薦,特色化不合格者も全員が一般入試で合格→地味にすごいことです)
私立は、
大濠3名(うち1名特進)
筑紫女学園2名(うち1名Ⅰ類)
東福岡2名(共に特進)
舞鶴2名(共に特進)
中村女子5名(うち1名特進)
その他4校へ合格者輩出。
塾のハシゴをする生徒はまず成績が上がりません。
覚悟がないからです。
この塾は教え方が悪いからダメ、この塾は宿題が多いからダメ、この塾は厳しいからダメ、この塾は質問ができないからダメと、何かと不満を述べて数カ月おきに転塾を繰り返す。
そして「自分にぴったりの塾がなかなか見つからない」などと……。
そもそも100%ぴったりの塾〔社会人であればぴったりの会社〕なんてまず無いと思ってください。
嫌なら自分自身で塾〔会社〕を作るしかないんです。
塾業界は教育と受験のプロです。
たとえ嫌でも、きつくても、大変でも、眠くても、プロの指示は確実に守るべきです。
ここでやっていくんだ、という覚悟が足りないのです。
腹をくくってないのです。
推進派の主張の一つとして、海外留学に都合がよいなど言われていますが、一体、留学希望者が全体の何%なのか?という意見はひとまず置くとして…あまり言及されていない高校入試について考えました。
9月入学となれば入試はおそらく7月です。
9月入学推進者による「冬入試はインフルエンザの危険性が高い」という意見があります。ならば、7月の(台風)(豪雨)(熱中症)についてはどう考えるのか?
実際、それらによる家屋倒壊と避難生活が毎年のように報道されます。
何より気温30℃以上の環境(当然、室内にエアコンはありますが…)の中での追い込みと本番です。
インフルエンザには予防接種がありますが、天災は避けようがありません。
と言うと「涼しく豪雨の心配のない5月,6月に入試を前倒ししたらいい」という9月推進者の反論が必ず出てきます。
が、これこそ議論のすり替えです。
寒さやインフルエンザが問題というなら涼しい秋に受験を前倒せばいいだけです。
学年平均点と全生徒の得点のばらつき具合(標準偏差)がテストごとに異なります。
それを元に個人の相対的な位置を、50を基準とした数値に表したのが「偏差値」というものです。
当塾では独自の方法にて学校で行われるテストの中学別偏差値を算出しています。
ある中学の生徒が、前回より点数が下がったと嘆いていましたが、5科の学年平均点が前回よりも大幅に下がっていたこともあり、実際に偏差値を算出したところ数ポイントも上がっていたのです。
つまり学年内での相対的な位置は上がっているということになります。
得点のみでテストの良し悪しは決して判断できないのです。
コロナ禍の下、当塾でも一部オンライン授業を取り入れていました。
指導の効果については別途検証が必要でしょう。
個人的には、いかに優れたものであれ通塾による「対面指導」に勝ることはないであろうと思えます。
「古い、時代遅れだ」という声も聞こえてきそうですが、以下のような当塾の状況では、いい意味での緊張感の維持が難しく、馴染みにくいと感じています。
・講師は身振り手振りや動作が大きく、画面からはみ出してしまいます(笑)
・問題演習中に机間巡視ができない
・個別に呼び出し、口頭にて理解度チェックをすることができない
しかし優れたシステムではありますので今後の使用法を模索していきます。
長い長いGWが終わったかと思えば、今度は体育祭に向けての練習と本番。
梅雨時期の到来。
そしてすぐに期末考査です。
さらに部活も中体連へ向けて練習内容も濃くなってきます。
この時期(1学期)、毎年なのですが、これらイベント類の連鎖による意識の中断、気の緩み、そしてモチベーションの立て直しが大変なのです。
おそらく学校でもご家庭でも同様なのではないでしょうか。
高校の朝補習、いわゆる0時間目です。
自由参加でありながら半ば強制とされており、教師にも生徒にも負担が大きいと指摘されています。
例えば数年前までは、不等式やイオンの概念も知らない高校1年生が現実に存在していました。
中学校で習わなかったからです。
その反面、大学入試がある限り、高校の学習内容は大学入試に合わせなくてはならないという矛盾。
要は学習の系統的な分配において、高校に必要以上のしわよせがいっているということなのです。
特に公立高校入試ですが、LINEのような吹き出しを使った対話形式の問題など、判断力・洞察力を問う記述式問題が増えています。
いい傾向とはいえますし、それ自体に異論を唱える気はありません。
しかし、洞察というものは確かな知識と理解の上に成り立つべきものです。
近年、あまりにも多くの資料や図表を提示し、その読み取りに延々と時間を費やさせる割には、結果として導かれる正答は最低限の知識をも必要としないような、まさしく単なる「読み取り作業!」に過ぎない傾向が強いように感じます。